『苺とチョコレート』 [洋画(ア行)]
「苺とチョコレート」(1993)★★★★70点
原題: FRESA Y CHOCOLATE
英語題: STRAWBERRY AND CHOCOLATE
監督: トマス・グティエレス・アレア、フアン・カルロス・タビオ
製作: ミゲル・メンドーサ
原作・脚本: セネル・パス
撮影: マリオ・ガルシア・ホヤ
音楽: ホセ・マリア・ヴィティエル
出演:
ウラジミール・クルス(ダビド、大学生)
ホルヘ・ペルゴリア(ディエゴ、小説家)
ミルタ・イバラ(ナンシー、ディエゴの隣人)
フランシスコ・ガットルノ(ミゲル、ダビドのルームメイト)
ヨエル・アンヘリノ(ヘルマン、ディエゴの友人)
マリリン・ソラヤ(ビビアン、ダビドの恋人)
受賞:
ベルリン国際映画祭
■審査員特別賞・銀熊賞: トマス・グティエレス・アレア
製作・ジャンル: キューバ・メキシコ・スペイン/ドラマ/110分
共産主義者の大学生ダビドとゲイの小説家ディエゴの交流を
80年代はキューバのハバナを舞台に描いた作品。
物語が始まってすぐに二人が出会うオープンカフェ。
ダビドに好意を抱いて近づいたディエゴ。
そのディエゴが食べていたのが苺のアイス。
ダビドが口にしていたのがチョコレートアイス。
ストレートとゲイ。
共産主義の闘士と自由を愛する芸術家。
タイトルの "チョコレート" と "苺" はその対比を表す。
芸術を愛し、それを守る為には闘うことを厭わないディエゴ。
小説家志望でもあるダビドが
そのディエゴに感化されていくのは時間の問題。
それは観ている者にも、間もなく推し量ることができる。
冒頭で恋人に裏切られた童貞君が
自傷行為を繰り返す明るくも繊細な女性・ナンシーによって
大人へと導かれる。
思想的な側面と同時に、性に関しても世界を広げていく。
そして、オーラス。
冒頭と同じオープンカフェで、
出会った時のディエゴさながら
その台詞まで真似ながら苺アイスを頬張るダビデ。
そこにダビデの変化と成長が見てとれる温かい場面である。
映画の終盤、
ルームメイトでバリバリの共産主義闘士のミゲルが
ディエゴ宅に押し掛けてひと悶着起こすシーンがあるが、
その一件が新たなる展開への伏線かと思いきや
ダビドとディエゴが友情以上性愛未満の熱いハグを交わしたところで The End。
そういった終わり方が悪いとも
お粗末なラストシーンだとも言うわけではないのだが、
普通すぎる結末に拍子抜けしたというのが本音。
ディエゴを演じるペルゴリアは
私がニューヨークでルームシェアしていたゲイのバレエダンサーに、顔立ち・柄・仕草など、色々なところがよく似ている。
そいつは女性で言うところの"ビッチ(Bitch)"野郎だったが、
ディエゴは、それとは全く違ってとても心優しい。
キューバにおいて
同性愛者が当時どういう立場に立たされていたのか
現在はどう位置づけされているのか。
私はそういった知識を持ち合わせていないが、
体制と闘い続けていたディエゴが亡命を選択するに至るということは、同国で性の解放が進んでいなかったのが実情だったに違いない。
この映画、視点を
ディエゴにとれば、ある芸術家の純愛映画、
ダビドにとれば、ある大学生の青春映画。
原題: FRESA Y CHOCOLATE
英語題: STRAWBERRY AND CHOCOLATE
監督: トマス・グティエレス・アレア、フアン・カルロス・タビオ
製作: ミゲル・メンドーサ
原作・脚本: セネル・パス
撮影: マリオ・ガルシア・ホヤ
音楽: ホセ・マリア・ヴィティエル
出演:
ウラジミール・クルス(ダビド、大学生)
ホルヘ・ペルゴリア(ディエゴ、小説家)
ミルタ・イバラ(ナンシー、ディエゴの隣人)
フランシスコ・ガットルノ(ミゲル、ダビドのルームメイト)
ヨエル・アンヘリノ(ヘルマン、ディエゴの友人)
マリリン・ソラヤ(ビビアン、ダビドの恋人)
受賞:
ベルリン国際映画祭
■審査員特別賞・銀熊賞: トマス・グティエレス・アレア
製作・ジャンル: キューバ・メキシコ・スペイン/ドラマ/110分
共産主義者の大学生ダビドとゲイの小説家ディエゴの交流を
80年代はキューバのハバナを舞台に描いた作品。
物語が始まってすぐに二人が出会うオープンカフェ。
ダビドに好意を抱いて近づいたディエゴ。
そのディエゴが食べていたのが苺のアイス。
ダビドが口にしていたのがチョコレートアイス。
ストレートとゲイ。
共産主義の闘士と自由を愛する芸術家。
タイトルの "チョコレート" と "苺" はその対比を表す。
芸術を愛し、それを守る為には闘うことを厭わないディエゴ。
小説家志望でもあるダビドが
そのディエゴに感化されていくのは時間の問題。
それは観ている者にも、間もなく推し量ることができる。
冒頭で恋人に裏切られた童貞君が
自傷行為を繰り返す明るくも繊細な女性・ナンシーによって
大人へと導かれる。
思想的な側面と同時に、性に関しても世界を広げていく。
そして、オーラス。
冒頭と同じオープンカフェで、
出会った時のディエゴさながら
その台詞まで真似ながら苺アイスを頬張るダビデ。
そこにダビデの変化と成長が見てとれる温かい場面である。
映画の終盤、
ルームメイトでバリバリの共産主義闘士のミゲルが
ディエゴ宅に押し掛けてひと悶着起こすシーンがあるが、
その一件が新たなる展開への伏線かと思いきや
ダビドとディエゴが友情以上性愛未満の熱いハグを交わしたところで The End。
そういった終わり方が悪いとも
お粗末なラストシーンだとも言うわけではないのだが、
普通すぎる結末に拍子抜けしたというのが本音。
ディエゴを演じるペルゴリアは
私がニューヨークでルームシェアしていたゲイのバレエダンサーに、顔立ち・柄・仕草など、色々なところがよく似ている。
そいつは女性で言うところの"ビッチ(Bitch)"野郎だったが、
ディエゴは、それとは全く違ってとても心優しい。
キューバにおいて
同性愛者が当時どういう立場に立たされていたのか
現在はどう位置づけされているのか。
私はそういった知識を持ち合わせていないが、
体制と闘い続けていたディエゴが亡命を選択するに至るということは、同国で性の解放が進んでいなかったのが実情だったに違いない。
この映画、視点を
ディエゴにとれば、ある芸術家の純愛映画、
ダビドにとれば、ある大学生の青春映画。