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『エドワード二世』 [舞台]

「エドワード二世」(2013)★★★☆65点
作: クリストファー・マーロウ
翻訳: 河合祥一郎
演出: 森新太郎
美術: 堀尾幸男
照明: 中川隆一
音響: 藤田赤目
衣裳: 西原梨恵
ヘアメイク: 佐藤裕子
演出助手: 城田美樹
舞台監督: 大垣敏朗
芸術監督: 宮田慶子
出演:
 柄本佑(エドワード二世)
 中村中(イザベラ、王妃)
 大谷亮介(ランカスター伯爵)
 窪塚俊介(ケント伯爵)
 大鷹明良(アランデル伯爵)
 木下浩之(ペンブルック伯爵)
 中村彰男(レスター伯爵)
 西本裕行(ライトボーン、暗殺者)
 瑳川哲朗(老モーティマー)
 石田佳央(モーティマー)
 石住昭彦(カンタベリー大司教)
 下総源太朗(ギャヴィストン、エドワード二世の寵臣)
 谷田歩(スペンサー)
 長谷川志(ボールドック)
 安西慎太郎(王子エドワード)
 小田豊(コヴェントリー司教)
 原康義(ウォリック)
会場: 新国立劇場・小劇場 THE PIT
観劇日: 2013年10月24日(木)
上演時間: 午後6:30~(休憩15分含・約3時間)
ジャンル: ドラマ

edward2.jpg

先シェイクスピア時代、
エリザベス演劇の先駆者と言える劇作家マーロウの作品。

観に行こうかどうか、迷っているところへ
出演者に仕事の現場で誘われ、
さらに、既に芝居を観たマネージャーの好評を受けて
劇場に足を運ぶことにした。

幕が開いて早々に実感することだが
とにかく、森氏の演出が前面に出ているなあ、ということ。
語弊を恐れずに言えば、
役者は演出家の画を完成させるための駒でしかないのだ。

"本選びとキャスティングで、演出家の仕事はほとんど終わる"
という彼の発言を聞いたことがあるが
この発言からも、彼の自己顕示の一端が窺い知れる。

和服や、雛壇を模した階段を多用することで
英国の演劇界にインパクトを与えた蜷川氏よろしく、
森氏も階段が好きなようだ。
今年の初夏に彼が手がけた、サルトル作の「汚れた手」も
舞台セットは、大階段の一杯飾りだったが、
本作品でも、
高い位置に配された玉座まで
ステップの高い階段が5,6段用意されている。
ステイタスを表現するのに手っ取り早い方策。

暗転やライティングを駆使して
短いシーンを積み上げていくのも、
役者より演出が先行する作品にありがちな、映画的手法の一つ。

結果的に
役者のケミストリーが紡ぎ出すドラマが蔑ろにされる。
俳優の立場からすれば、
自分たちの演技を信用されていないように感じたり
俳優の存在意義を否定されたりしているようで
不満を抱くのではないか。


出演者に目を転じよう。

一番印象に残ったのは中村中。
性同一障害の歌手というイメージしかなかったが
舞台もそこそこ場数を踏んでいるよう。

多くの役者が
叫ぶと声が割れて何を言っているのか聞き取りづらい中
歌手だけあって、声量や響きが素晴らしい。
ただ、これまた歌手だなあと感じたのは
台詞を歌ってしまう点である。
傍白など、自分の思いを語る部分は有効だが、
対話に至っては、相手への台詞のかかり方が甘くなる。

また、凛とした美しさがあり
王妃としての気品に満ちている点は言うことなしである。
この点も、別角度から見ると不足を感じる。
叫びまくる男優に囲まれて
唯一マイペースで演じられるポジションにあるが、
それ一辺倒で、終始落ち着きはらっており
オーラスなど、感情が激する場面においても
さして演技に変化を見いだせない。

ギャヴィストンに扮した下総は
プロフィール写真よりも、見た目も演技もずっとセクシーな役者で
王の寵愛を受ける男色を印象強く演じている。

大御所の一人である瑳川。
舞台を見るたびに、丸く大きくなられるようだ。
今日など、チラシの名前を見ずに観劇していたら
きっと彼であることを認識できなかったのではないかと思う。
瑳川ほど渋い低音の持ち主であっても、
叫び声は籠って台詞が不明瞭にしか聞こえない。

モーティマーを演じた石田は
諸事情があり、急遽キャスティングされたと聞くが、
叫んでも彼の声は比較的通り、しっかり聞き取れる。
演技的にも、役どころをしっかり押さえ、好演だると言えよう。
全編にわたって、エドワードの敵であり対極にある存在を
実直に演じていた。
惜しむらくは、カッコをつけたいという下心が所々で見受けられる。
逆に
処刑される直前は、思いっきりカッコ良くなってほしいが、
首から上が長く、体のバランスがイマイチな彼のシルエットは
お世辞にもカッコいいとは言えない…
こればかりは持って生まれたもの、どうしようもない。

キーパーソンの一人であるケント伯を演じる窪塚。
ただ一言、力不足も甚だしい。
たっぱも無い人だと知るにとどまる。

主役の柄本は
"キャスティングでほとんどが決まる" という演出家の言そのまま
彼に求められたキャラクターは体現出来ているのではないだろうか。
3時間の芝居の8割は舞台上にいるであろう主役を
合格点で演じきっていると思う。

テンポが大事なのは分かるが、
役者の間で交わされる対話の中に
感情を揺さぶられるドラマを感じられないのは寂しい。
奇抜な絵や配色、
立体的に飛び出してきたり、メロディまで奏でたりする
仕掛けが盛りだくさんな絵本に似ている。
上演の主眼はストーリーを伝えることのみで
伝え方に生きた人間の介在が乏しいのは残念なかぎり。

舞台を見なれない人は
新鮮に感じるかもしれないが。
 
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