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『水戸黄門海を渡る』 [邦画(マ行)]

「水戸黄門海を渡る」(1961)★☆☆☆30点
監督: 渡辺邦男
原作・脚色: 川内康範
脚色: 杜松吉
企画: 久保寺生郎
撮影: 渡辺孝
美術: 上里義三
音楽: 福永久広
録音: 海原幸夫
照明: 伊藤貞一
出演:
 長谷川一夫(水戸黄門/シャグシャイン)
 勝新太郎(渥美格之進)
 市川雷蔵(佐々木助三郎)
 野添ひとみ(ノサップ)
 宇治みさ子(こずえ)
 藤原礼子(雷門のお新)
 林成年(松前泰久)
 千葉敏郎(ギルタン)
 佐々十郎(ひょっとこの金次)
 小堀明男(犬山陣十郎)
 嵐三右衛門(北海屋藤三)
 阿部脩(ポイサパ)
製作・配給・ジャンル: 大映/大映/時代劇/90分

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蝦夷地の測量図が奪われた事件をきっかけに、
水戸黄門一行が蝦夷へ渡って活躍する時代劇。

原作・脚本が、
近年、森進一との「おふくろさん」騒動で話題となった川内康範。
作家・脚本家としても活躍していたことを目の当たりにして驚き。

50代前半だった長谷川一夫が、
老けの水戸黄門とアイヌの大酋長の二役を
声のトーンや語り口を工夫して、巧みに演じ分けている。

助さんに市川雷蔵、格さんに勝新太郎
と、黄門の側近に豪華人気スターを配している点も嬉しい。

この映画の製作当時、
アイヌ部族に対する本土日本人の見方は
どのようなものだっただろうか。
学生時代、北海道に旅したとき
躊躇なくアイヌに対する差別発言をする地元民にも遭遇した。
現代日本人は、差別云々の前に
彼らに対する知識・関心自体がないであろうから
和人との対立構造など理解しがたいだろう。
私には、インディアンを制圧していったアメリカ開拓民を思わせる。

シャグシャインとギルタンとの対立は理解できても
付き従う他のアイヌたちが2人を、どう見ているかが不明。
ために、
ギルタンが、部族に信頼されている呪術師を殺し
皆に決起を呼びかける時、
仲間のアイヌたちがどう感じたのか、
彼らが盲目的にギルタンに付き従う理由も皆目分からない。
実在したシャグシャイン(正しくはシャクシャイン)を登場させながら
それを支える仲間たちの "顔" が見えてこないお話は
軽薄で、ドラマが生まれないのは当然の帰結。

ノサップが重病の床に着いた際
口づけに見せかけて格之進が薬を口移しで飲ませるシーン。
薬を飲ませるどころか、唇にも全く触れていないのが丸分かり。
アップになるショットでこれはないだろう。
人前のラブシーンがまだタブーに近かった時代背景を考慮するなら
"ふり" がバレない、ごまかしの利くアングルを選ぶべきだ。

長谷川が2役を頑張っているのに、
撮影アングルは2ショットのアップを極力避けている。
いずれかが背中越しの絵になるショットが多すぎて、逆に気になる。

虚無僧に身を隠している助三郎は、おそらく吹替えだろう。
観客には、虚無僧=助三郎とすぐ察しがつくのだから
別人を持ってくることは、ここでも逆効果を生む。
声くらい雷蔵にアフレコしてほしかった。

ラスト。
ノサップとシャグシャインは、馬に乗って見送りに来る。
去っていく人がよく見える遠く離れた山の端までやってきたなら
そこで立ち止まって手を振るのも分かるが
同じ道を一行まで100mほどの位置で来ておいて
そこで馬を止めるのは不自然だ。
あそこまで来たら、
普通、追いついて面前で別れの挨拶を交わすだろう。

演出の粗ばかりが目立つ作品。
早撮りの渡辺が、手抜きの渡辺になってはいけない。

話はガラッと変わるが
宇治みさ子は、日本人には珍しいほど鼻筋の通った美人。
新東宝の大スターだったようであるが
恥ずかしながら、この作品を観るまで知らなかった。
新東宝を去った渡辺邦男を追って大映入り。
本作には脇役としての出演だが、否が応でも目立つ。
早々に引退してしまったのが残念。
 
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