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『太陽がいっぱい』 [洋画(タ行)]

「太陽がいっぱい」('60)(再)★★★★☆80点
※(再):私が以前に観たことのある作品
原題: PLEIN SOLEIL
監督・脚本: ルネ・クレマン
製作: ロベール・アキム、レイモン・アキム
原作: パトリシア・ハイスミス
脚本: ポール・ジェゴフ
撮影: アンリ・ドカエ
音楽: ニーノ・ロータ
出演:
 アラン・ドロン(トム・リプレー)
 マリー・ラフォレ(マルジュ・デュヴァル)
 モーリス・ロネ(フィリップ・グリーンリーフ)
 ビル・カーンズ(フレディ・マイルズ)
 エルノ・クリサ(リコルディ)
 フランク・ラティモア(オブライエン)
 アヴェ・ニンチ(ジャンナ夫人)
 ヴィヴィアーヌ・シャンテル(ベルギーの女性)
 ネリオ・ベルナルディ(当局局長)
 リリー・ロマネリ(家政婦)
 ニコラス・ペトロフ(ボリス)
 エルヴィーレ・ポペスコ(ポポヴァ夫人)
受賞:
 エドガー賞
  ■最優秀外国映画賞
製作・ジャンル: 仏国=イタリア/クライム・サスペンス・ドラマ/122分

太陽がいっぱい スペシャル・エディション (期間限定生産) [DVD]








アラン・ドロンを一躍有名にした映画。
ルネ・クレマン監督でニーノ・ロータの音楽。
聴けば、いくつものシーンを甦らせるその名曲を忘れることはない。

カメラアングルの効果が随所に見える。
殺したフレディを運び出すらせん階段のシーンで使われる、
手すり越しのA・ドロンの画(え)は印象的だ。

同シーンで、フレディにタバコをくわえさせるカットでは、
画でなく足音だけで階下の隣人の存在を描きだしている。

その直後で
車に担ぎ込むのが死体でなく酔った友人だと思わせる場面では
「おい、しっかりしろ」というだけ。
対して、「リプリー」では
たしか、「飲みすぎだぞ」と言わせていたと思う。
こういった細かい部分にも
無駄な説明を省いた、よりリアリズムを追求した演出を感じる。

さらに
担いでいく死体の重みをしっかり感じさせるアランの演技も的確。
(もちろん、死体のフレディ役の俳優の協力は不可欠)

それにしても、アランはセクシーだ。
ジュード・ロウしかりだが、青さのせいだろうか、瞳が深い。
瞳の深さがキャラクターの心の深遠さを感じさせる。

アランが演じているのが米国人だということ。
指紋捜査が実行されているにもかかわらず
アランにまったく手が伸びないこと。
船の売却の話が途中から一切なくなり、
オーラスで唐突に父親が絡めて湧き上がる不自然さ。
特に気になるのはこれくらいで、
それに目をつむって余りあるほど優れた要素にあふれている。

文字通り、満身に太陽をいっぱいに愉しむ
ラストのアランの姿は美しくも悲しくもある。

J・ロウのグリーンリーフが秀逸の「リプリー」
魅力満載のA・ドロンがトムを演じる「太陽がいっぱい」
ジュードとアランが同世代だったとしても、
両者共演は成り立たない。
そこにリメイクの面白さがあるのかもしれない。

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