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太陽がいっぱい [日記]

 
仕事で通夜には出られなかった。
翌日の葬式も仕事とバッティングしていたけど
無理やり仕事の予定をずらしてもらい、葬式に駆け込んだ。

会場には、親族以外に会葬者は誰もいない。
受付もそこそこに、葬儀屋に急かされ
ぽつんと一人遺影に臨む私は、一番最後の焼香者だった。

奥様と顔が合う。
デートと称し、女優で頑張っているご長女の舞台にご一緒したのは、つい最近、今年に入ってからのことだ。

2階へ上がると、
広い控室には
入りきれないほど大勢の会葬者が、
インタビューやライヴ音声をバックに流れる
故人の写真のスライドショーを静かに見ていた。

涙を堪えて喪主の挨拶をする奥様。
そばで泣き続ける二人の娘さん。
下の娘さんは結婚されたばかりだ。
「夫は家族の太陽だった」
そう語る奥様の姿を目の当たりにして
初めて涙が頬をつたった。

火葬場へと送り出す中、Hey Jude♪ が流れる。
そして最後には、故人の歌声が快晴の寒空に響いていた。

葬儀への行き帰り、
自分がどこへ向かっているのか
何をしに来ているのか
皆目見当がつかない。

頭が真っ白、という表現があるが
そういう2次元的な感覚ではなく、
空っぽ、真空、空虚、といった具合に
無が私の体全体を包む。

気づけば、地下鉄をひと駅分歩いていた。

   *********

そんな出来事があったのは、ちょうど一週間前のこと。

「いらっしゃい」
ドアの向こうからマスター夫妻の顔が覗く。

その声を追うように
マスターとHさんから言葉がかけられた。
「ありがとね」「○○ちゃん、ありがとね」

故人と付き合いの深かった彼らは、親族同様の存在なのだ。

カウンターは一番端の席しか空いていなかったが、
私が席につくと入れ違いに
3人連れの男性客が帰っていった。

反対側の端には
仲良くしてもらっている若々しきロートルH。
その手前に、たまにお会いする40代のカップル。
彼らも常連さんだ。

ポッカリと真ん中の席が空いたカウンター。

うっすらと寂しかった。

ついこの間まで一緒に飲んでいた人が
もうこの世に存在しない。

闘病していたわけではない。
倒れて2日と経たないうちに逝ってしまった。

Bar があり、そこに酒があり音楽がある。
常連がいて、ブルースバンドがあり
そのバンドのリードボーカルだった彼。
酒が好きで人が好きで、いつも陽気な太陽だった。

Ain't No Sunshine ♪
愛する人が去り、太陽はもう輝かない。
そう歌った Bill Withers。



「そろそろ来るかな?」
「そうね、来るんじゃない?」

笑顔で話す私たちに、もう悲しさはない。

そう、
今夜、店を訪れると決めていたのは
悲しみと決別するためなのだ。
 
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想い [日記]

表面{おもてづら}はとても愛想いいのだが
常日頃から人の陰口をたたく後輩がいる。

本人には陰口・悪口という自覚はなく
ただ正論を述べているだけのつもりのようだが…

それは “自分は常に正しい” という過信が招くもの。
人ひとりが把握している知識・情報なんて、ごく僅か。
それを基に、一個の人生経験が導き出す結論など
たかが知れたものだというのに
それには気づかない。

それを愚かだと批判するつもりはない。
若いな。
そう思うだけだ。

そんな彼女の、私に対する誤解。
今日、その誤解がひとつ解け、
彼女はひとつ、自分の過ちに気づいたことだろう。


その仕事現場で
マネージャーから、別の後輩女優のご主人の訃報を聞いた。
53歳、がん。まだ若い。
この一年、
彼女は自宅看護をしながら仕事をしていたそうだ。
いつも明るく元気な彼女。
同時期に2本の舞台を抱えていた昨夏の彼女を思うと
その大変さはいかばかりだったろうか。


70年代半ばの青春ドラマ『俺たちの旅』。
そのラストでは
主演の中村雅俊が唄う ♪ただお前がいい♪ をバックに
毎回、短い散文詩が添えられていた。

「たとえ淋しくても
 たとえ苦しくても
 いろんな事があったほうがいいじゃないか
 人生は―」

これは、つい今しがた
久しぶりに観た第32話の詩だ。

普段、雑感は facebook に書き込むことが多いが、
こういった類の心模様は、「友達」に向けては語れない。

久しぶりに、一人 Bar に出かけた。
カウンターの奥には、マスター夫妻のいつもの笑顔、
私のほうを振り返り同席を喜んでくれる飲み仲間たち。

一時間ほど経ったころ
ある年配の常連さんが、お友達を連れてやってきた。
二人のために、席をずれてカウンターの端へ移動する。
隣りに座ったお友達、
彼はかなり出来上がっていて、
片端から自分の話に相づちを求めてきた。

相手を思いやれない無粋な人間。
どんなに酔っても
その Bar の常連にそんな人はいない。

ベアードビールのインディア・ペールラガーと
ダッドソーダを一杯ずつ。
腰を上げ、店をあとにした。

帰り途、遠方は雪国に住む友人から
淋しげな内容のショートメールが届いた。
別段返事を求めない、小さなつぶやき。


彼は、彼女は
今何を考えているのだろう、どう感じているのだろう。
他人{ひと}の心など、
所詮、傍から推し量ることは出来ないのだ。

他人を思いやることの大切さに感じ入り
それが「生きる意味」だとプラスに捉えるのではなく、
詰まるところ人は一人なのだ、と淡々と受け止め
ふと疎外感を覚えた夜。

ただそこに、寂しさは欠片もない。
 
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『苺とチョコレート』 [洋画(ア行)]

「苺とチョコレート」(1993)★★★★70点
原題: FRESA Y CHOCOLATE
英語題: STRAWBERRY AND CHOCOLATE
監督: トマス・グティエレス・アレア、フアン・カルロス・タビオ
製作: ミゲル・メンドーサ
原作・脚本: セネル・パス
撮影: マリオ・ガルシア・ホヤ
音楽: ホセ・マリア・ヴィティエル
出演:
 ウラジミール・クルス(ダビド、大学生)
 ホルヘ・ペルゴリア(ディエゴ、小説家)
 ミルタ・イバラ(ナンシー、ディエゴの隣人)
 フランシスコ・ガットルノ(ミゲル、ダビドのルームメイト)
 ヨエル・アンヘリノ(ヘルマン、ディエゴの友人)
 マリリン・ソラヤ(ビビアン、ダビドの恋人)
受賞: 
 ベルリン国際映画祭
  ■審査員特別賞・銀熊賞: トマス・グティエレス・アレア
製作・ジャンル: キューバ・メキシコ・スペイン/ドラマ/110分

strawberry and chocolate.jpg








 
共産主義者の大学生ダビドとゲイの小説家ディエゴの交流を
80年代はキューバのハバナを舞台に描いた作品。

物語が始まってすぐに二人が出会うオープンカフェ。
ダビドに好意を抱いて近づいたディエゴ。
そのディエゴが食べていたのが苺のアイス。
ダビドが口にしていたのがチョコレートアイス。

ストレートとゲイ。
共産主義の闘士と自由を愛する芸術家。

タイトルの "チョコレート" と "苺" はその対比を表す。

芸術を愛し、それを守る為には闘うことを厭わないディエゴ。
小説家志望でもあるダビドが
そのディエゴに感化されていくのは時間の問題。
それは観ている者にも、間もなく推し量ることができる。

冒頭で恋人に裏切られた童貞君が
自傷行為を繰り返す明るくも繊細な女性・ナンシーによって
大人へと導かれる。
思想的な側面と同時に、性に関しても世界を広げていく。

そして、オーラス。
冒頭と同じオープンカフェで、
出会った時のディエゴさながら
その台詞まで真似ながら苺アイスを頬張るダビデ。
そこにダビデの変化と成長が見てとれる温かい場面である。

映画の終盤、
ルームメイトでバリバリの共産主義闘士のミゲルが
ディエゴ宅に押し掛けてひと悶着起こすシーンがあるが、
その一件が新たなる展開への伏線かと思いきや
ダビドとディエゴが友情以上性愛未満の熱いハグを交わしたところで The End。

そういった終わり方が悪いとも
お粗末なラストシーンだとも言うわけではないのだが、
普通すぎる結末に拍子抜けしたというのが本音。

ディエゴを演じるペルゴリアは
私がニューヨークでルームシェアしていたゲイのバレエダンサーに、顔立ち・柄・仕草など、色々なところがよく似ている。
そいつは女性で言うところの"ビッチ(Bitch)"野郎だったが、
ディエゴは、それとは全く違ってとても心優しい。

キューバにおいて
同性愛者が当時どういう立場に立たされていたのか
現在はどう位置づけされているのか。
私はそういった知識を持ち合わせていないが、
体制と闘い続けていたディエゴが亡命を選択するに至るということは、同国で性の解放が進んでいなかったのが実情だったに違いない。

この映画、視点を
ディエゴにとれば、ある芸術家の純愛映画、
ダビドにとれば、ある大学生の青春映画。
 
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人間万事塞翁が馬 [日記]

ことわざ自体を最近あまり耳にしない気がしますが
2014という年を振り返るに
このことわざを実感する一年でした。

「人間(じんかん)万事塞翁(さいおう)が馬」

人の禍福は予測がつかない。

禍と思った恋愛が一時の幸福感を呼び、
その恋の終焉が心痛をもたらす。
しかし、終焉を迎えたまさにその夜から、
私の隙間を埋めんがごとく、人が集まってくるのであります。

ホント不思議なもの。

思えば、異性に振り回されたのは初めてでした。
今までいつも、自分のペースでしか恋愛を重ねてこなかった。
そんな自分が、気づけば、逆の立場にいたのです。

相手との関係、彼女の魅力、自分の年齢
複数の要素が私に自分を見失わせたのだろうと思います。
中でも、関係性、つまり相手から見た私の立ち位置が
私からすっかりゆとりを奪っていたのでしょう。

因果応報。
いや、これもある意味、塞翁が馬なのでしょうね。

ともあれ、あの夜から
私自身というよりも、取り巻く環境の方が、
「本来の自分を取り戻せ」と
私の人生の舵を勢い良く切りつづけているんです。

これまでも、いろんな人から、
折に触れて、性格を以って「ジャックナイフ」と評されてきた私。
2015年は
その刃に焼きを入れ直し、もう一度鋭く研ぎ直して
キレキレのジャックナイフに立ち返ってみようと思います。
いいえ、自然に戻ってしまうでしょう、きっと。

first fire 2015.jpg

そして、
人間万事塞翁が馬を胸に、人生を楽しみます!
 
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LIFE & PEACE [日記]

昨日12月9日はジョン・レノンの命日でした。

一般的には、12月8日として報道されますが
彼が凶弾に倒れたのが、ニューヨーク時間の8日午後10時50分、
その25分後に死亡が確認されました。
日本時間では、12月9日午後1時前後の話です。

ちなみに
同様に、12月8日未明と認識されている真珠湾攻撃は
現地ハワイ時刻で12月7日午前8時前で、
ジョンの死亡とは、時間的に一日以上の開きがあります。


ゆうべは、仕事を終えて行きつけのBARへ。
仲の良い常連さんが一足違いで帰ったところ。
12時を回って店を後にするまで、客は私一人、貸切状態でした。

中学生の頃、友人宅へ出かけては
LPレコードに針を落として、ビートルズを聴き込んでました。
ジョンの突然の死は、子供心に衝撃だったことを思い出します。

あれから34年。
ジョン・レノンやビートルズの名前さえ知らない若者がいる現在。
昨日・おととい、日本で
どのくらい、ジョン、あるいはビートルズの曲が流れたのだろう?
壁に張られたストロベリーフィールズの写真を見ながら
ふとそんな思いが頭をよぎります。

strawberry fields.jpg

店のプロジェクターから映し出されるライブ映像には
Wings率いるポール・マッカートニー、PretendersにQueen。
若き日のフレディは、スリムで髪の毛フッサフサ。
例によって上半身は裸だけどね(笑)

音楽、映画、逝ってしまった国内外の名優たちの話に始まり
流行りや政治・社会問題まで、話題は尽きません。

他のお客さんとワイワイ飲むのも楽しいけど
マスター夫妻を独占して、静かに語り合うのも至福です。

年の瀬のあわただしさに押し流されがちなこの時期に
ゆったりと落ち着いた時間を過ごせたことに感謝する夜でした!
 
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仁義なき思い出 [日記]

菅原文太さんが亡くなった。

健さんに続いて、また一人
昭和を背負った映画俳優が消えていった。

まだ駆け出しの頃
火曜サスペンスで科捜研の研究員に配役された私は
パソコンで指紋照合するシーンを演じた。

早朝の寒いセットの中、椅子に腰掛け
助監に付き添われて、パソコンの操作を練習していると
いきなり後ろから声が飛んできた。

「それは何をするもんじゃい」

声の主は誰ぞ、と振り返ると
それが文太さんだった。

今から15年以上前、
パソコンがさほど普及していない頃の話だ。
カチカチと音を立ててイジっている物について訊かれたのだと思い
「パソコンを操作するマウスという器具です」と答えた。

それに対して、はっきりした返答はなかったように思う。
ただ、文太さんの顔からは怪訝な表情だけが見て取れた。

私の登場シーンに文太さんが出演されていたかどうかも
そのシーンがカットされずに放映されたのかも
まったく覚えてはいない。

閑散としたセットの中に響く渋い声、
力強さを感じる白髪、深く刻まれた額の皺。
私の脳裏には、その画が今も鮮明に残っている。


思えば、
同じドラマに出演されていた田中実さんも、すでに鬼籍の人だ。

「セット、寒いですから、上着を持って行かれたほうがいいですよ」

一足先に撮影に入っていた彼は
朝ドラで脚光を浴びたエリート俳優ながら、
同じ楽屋になったというだけの名もなき端役に対し
実に丁寧な口調でアドバイスをくれた。


こうした他愛もない小さな思い出。
その積み重ねを人生と呼ぶのではないだろうか。
今、そんなふうに感じている。
 
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『タバコの害について』/『白鳥の歌』 [舞台]

『タバコの害について』
作: アントン・チェーホフ
翻訳: 米川正美
演出: 村田元史
制作: Y・NAKANO 演劇企画JOKO
出演:
 西本裕行(ニューキン)

いやあ、面白かった~!
ホント、楽しい一人芝居だった!

タバコの害について講話を依頼され登壇するニューキン教授。
ところが、恐妻家の彼の話は脱線。
妻に対する積年の思いが爆発する。

西本さんが醸し出す老紳士の悲哀がたまらなく切なく可笑しいのだ。
4回公演の千秋楽に来て、初めて起きたというハプニング。
それに対するアドリブっぽい対応が、さらなる笑いを誘っていた。

西本さんは大先輩。
あとひと月あまりで米寿を迎えるご高齢にもかかわらず
毎年、大小様々な舞台に立ちつづけている素晴らしい俳優である。
今年も、すでに
『リア王』、『父と暮せば』で主役を務めていらっしゃる。

年配の方なら、
『ムーミン』のスナフキンを担当していた声優と言ったら
分かりやすいだろうか。

それ以前に、彼は舞台人である。
文学座、雲、欅、昴
といわゆる新劇団で演劇人生を貫きつづけている志の人である。

映画が斜陽になって、テレビ創生期。
テレビ俳優がほとんどいない時代、
時代劇や大映テレビを中心とするドラマに
新劇と言われる老舗劇団の舞台俳優が映像でも重宝された。

しかし、若いころの西本さんは評価が低く、
小池朝雄をはじめ、劇団の同世代がテレビでも活躍する中
陽の目を見ない時代が長く続いた。

私が師と仰いでいた故・北城真紀子は
生前、後輩である西本さんに対し
舞台袖で「お下手ね」と言い放ったという話を嬉々として語っていた。
北城が亡くなった折
西本さんご本人も、その逸話を笑いながら話してくれた。

実際、私が俳優となって間もないころ観た『寺院の殺人』では
私が未熟だったこともあるのだろうが
主役を務めた西本さんの演技に全く魅力を感じなかった。

若輩の私が言うのもなんだが、
その後、歳を経るごとに
彼の魅力はキラキラと輝きはじめるのである。

だから今、亡き北城真紀子には言ってやりたい。
「今や、あなたに負けず劣らず、素晴らしい俳優ですよ」
「いや、あなたが見られなかった時間を生き続けている分、
あなたを凌ぐ優しさと強さを備えた素敵な大先輩です」と。

先日亡くなった高倉健さんが映画の孤高なら
西本裕行氏は舞台の孤高である。

私は2本の舞台でご一緒したが、
残念なことに、いずれの作品でも直接絡む場面がなかった。

いつまでも
矍鑠と舞台に立ち、私たちの道標・模範であってほしいが
90歳近い年齢を考えれば、私より先に逝ってしまう可能性は高い。

この先
西本さんから、どれだけ吸収し学ぶことができるか
西本さんの演技を、どれだけ観られるか
西本さんと、どれだけ時間を共有できるか。

どんなメディアでも構わない。
是非、西本さんと直接絡む作品に参加したい。
それが私の随一の希望である。

私は、この世に生まれこの人に会えたことを感謝する。
そして、これから彼と密に関わる人々すべてに嫉妬するだろう。
それくらいに、この俳優、この先輩を敬愛しているのである。

『白鳥の歌』
作: アントン・チェーホフ
翻訳: 米川正美
演出: 村田元史
制作: Y・NAKANO 演劇企画JOKO
出演:
 仲野裕(ワシーリー・ワシーリイチ・スヴェトロヴィードフ、喜劇役者)
 西本裕行(ニキータ・イワーヌイチ、プロンプター)

老俳優によって
人生についての述懐とプロンプターとの会話が
深夜の劇場で展開される。

仲野さんも私にとっては大先輩である。
しかし、正直あまり面白くなかった。

ストーリーや設定など、戯曲として面白味がないとは言えないが
本自体にも特筆する内容・展開はない。
主役の仲野さんに対して、西本さんも脇で登場するが
存在感はあれども、役によっては俳優を生かせないのだなあ。
それを実感させられる作品だった。

つまりは
この戯曲に対する興味があまり湧かない所に起因するのだろう。

会場: 両国・門天ホール
観劇日: 2014年11月30日(日)
上演時間: 午後2:00~(休憩15分含・約1時間20分)
ジャンル: ドラマ
 
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孤高の星、堕つ。 [日記]

昨日、納谷六朗さんのご逝去に思いを馳せているところへ
高倉健さんの訃報がブレイキングニュースで飛び込んできた。

しかも、一週間以上前に亡くなっていたとのこと。
ショックを隠せない。

私が初めて映画館で観た健さんの映画は『居酒屋兆治』。

二本立てのロードショーで
抱き合わせの映画『魚影の群れ』の流血シーンで気分が悪くなり
一度ロビーに出て休み、次の上映回を待って再び観たので
ことさら鮮明に覚えている。

一番印象的だったのは、ラストシーン。
ガラスに映った自分の姿に
「元気出して… いこうぜ… オッス」と声を掛け
一気にコップ酒を飲み干す演技に心が震えた。

それから、エンドロールをバックに
健さんの唄「時代遅れの酒場」が流れる。
上手いとはいえないその歌に、
藤野英治が、それを演じる高倉健の生き様が重なっていく。




東映を離れた若き時代、大根役者と揶揄されたこともある。
決して上手い俳優ではなかったかもしれない。

しかし、演じるとは、
いかに生きるか、その生き様を見せること。

それを最期まで体現し続けた。
それが高倉健という俳優、小田剛一という人間だった。

降旗康男作品の高倉健が好きだ。

そして、相手役の女優には、倍賞千恵子がよく似合う。
いや、似合うというより
私自身が、健さんに寄り添う倍賞さんが好きなんだろうな。

健さんも好きだったコーヒー。
15年選手のスターバッカーは
お気に入りの銅製コーヒーケトルで淹れた珈琲を片手に
冥福を祈って、『駅 STATION』を観た。
 
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『シンデレラ』&『バレエの時間』 [舞台]

「シンデレラ」&「バレエの時間」(2014)
構成・振付・演出: 白川万紗子
音楽: セルゲイ・プロコフィエフ
美術: 青山健一
照明: 石田道彦
音響: 古武奈津子
衣裳: アトリエヨシノ
舞台監督: 原田拓巳
制作協力: 白川聖子
出演:
 「バレエタイム」生徒
 柴崎正道(継母)
 石井友樹(王子)
会場: 調布市文化会館たづくり・くすのきホール
観劇日: 2014年11月3日(月・祝)
上演時間: 午後3:00~(休憩15分含・約2時間)
ジャンル: バレエ

ballet time 4-1.jpg

バレエ教室「バレエタイム」の発表会。

バレエ要素が入ったダンス作品や、映像でのバレエ公演は
観たことがあるけれど
純粋な生のバレエ公演を一度も観たことのなかった私にとって、
幼き若き生徒さんたちの舞台は微笑ましく楽しいものでした。

衣裳が金太郎の腹掛けみたいに見える子もいたり…
赤の他人でも、みな可愛く見えるのですから
親御さんたちは、
娘の晴れ舞台を目の当たりにしてたまらないでしょうね。

シンデレラ役の生徒さんは
手先の仕草や表情がとても柔らかく、華を感じるバレリーナでした。

先生であり主催者である白川さんの踊る姿も期待していたのですが
あくまで生徒を主役に、
バレエのイロハ教室の進行役に徹していらっしゃいました。

「リトルダンサー」や
「バレエ・シューズ」(「ハリー・ポッター」のエマ・ワトソン主演)など
ダンス関連の映画を観ると
“私も踊れたらなあ”と思ってしまうのであります。
 
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美しきマーメイド [日記]

私の恋人が水際を去ることになりました。
この日がいつか来ることは分かっていたんだけどね。



「今日の会見、笑顔がすごく印象に残ってる」だと!
インタビューアーはバカなふり方するなよ。

頑張って作ってる笑顔にしか見えないだろ。
あんなに淋しさを湛えた笑顔なんて… ホントに淋しいよ。

「悲しい引退会見より、スッキリした卒業会見にしたかった」
"したかった" という言葉が物語っているように、
笑顔は、彼女の心の表れじゃなくその意思に支えられたもの。
しっかりとした意思と、強い意志を持って競技を続けてきた
彼女のまっすぐな競泳人生を集約しているように思いました。

僕は綾ちゃんの美しく力強く泳ぐ姿を忘れないよ。
きっと、良い指導者となってくれることでしょう。

ひとまず、お疲れ様。
そして、本当にありがとう。
 
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